Tuesday, May 5, 2015

大正時代開業,或る田舎町の歯科医

今日はT三の父,歯科医院初代院長の N 四郎にまつわるお話 (孫 A の伝聞).なにせ三世代越え,昭和後期生まれの筆者にはお伽話級の古いすとぅりぃなので,話に尾ひれ背びれお頭付きの盛りに盛った部分はあると思われますが.
  • 烏山で開業 (前妻の実家?)
  • 大正2年 現在の所在地 (塩谷郡西部) に N 四郎開業.昭和12年に没.癌か?
  • N 四郎は仕事が終わると汽車で宇都宮に寿司食いにでかけてしまう.後妻さんは美形で,連れ歩くのが自慢.一人娘の S 枝 (後の T 三の嫁,A の母,筆者の祖母.登場人物は以前の回も御参考に) は留守番.
  • 予約というシステムはなかった.農家の患者さんは朝5時から来て待っていた (これは孫 A の治世?の昭和後期でもそうだった気がする,と A の子である筆者談).
  • 義歯を二個作れば一ヶ月食っていけた.
  • 赤髭だった.年末になると集金に歩いたが,催促しないと払いに来ない.
  • 狹間田の小野家に可愛がってもらう.当家のお子さんよりも可愛がってもらう.
  • T三の時代は対処療法,息子 A の時代は三十年経っており,予防療法.果たして N 四郎の時代はいかに?
  • 町内外複数拠点に土地を購入しており,そのうちの仁井田村のそれは当時の市町村合併で村が氏家町に統合される際に町に寄付/取上げられた (詳細不明.要確認).A 曰くこのあたりも "太っ腹過ぎる".
写真:(外部ページ 開港資料館じいさん より引用) 昭和中期にはまだ頭上に照明を掲げる一体型の診療机は無かったのだろうか.助手の女性の服装が一膳飯屋の女将風なのも時代ですね.

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