Saturday, December 31, 2016

戦後小学生の冬の登校前の遊び

日本は今年も寒い寒い冬がやって参りましたが,それでも比較的には地球が温かくなってきているということを実感するお話を紹介します.

昭和20年代,小学生だった父親は,夕方学校が終わり家に帰る前に,小学校の裏手にある神社付近の田んぼに必ず行ったそうです.

秋の稲刈りが終わった田んぼは,春の田植えまで休閑で,水もなく,上部が刈り取られた稲の株だけが残り,何にも使われない文字通りの休閑地です (説明下手ですみませんが田舎出身の方なら何のことを言ってるか伝わりますかね…).なので冬の田んぼは子供の遊び場と化します.何しろ稲の切り株が 50cm 毎くらいに生えてるもんだから,かけっこしようにも走りにくいし,子供大好きサッカーなんてボールが真っ直ぐ転ばないからラグビーになってしまいます.だから私個人は田んぼで遊ぶのは好きではなかったですが,とはいっても物を壊す心配のない広い遊び場ですから,重宝なのです.

話が逸れました.

小学生の父親達がそんな田んぼに行って何をするというと,特にそこで遊ぶわけではなく (まあ,遊んだかも知れませんが),田んぼに水をザバーっと大量に撒いて帰るんだそうです.すると撒かれた水は翌朝にはびーっちり凍ってるんだそうで,さすれば後は昭和中期の小学生,靴なんて高級なアイテムがが日用品となるのはもうちょっと後で,この時代はみんな下駄ですから (前々回も参考に),そう,下駄スキー (注:父親命名) です.下駄で氷の上を滑るだけ!なんだいそれ下駄スキーじゃなくてスケートじゃん!と現代っ子の100人中100人が瞬時にツッコむところですが,スキーとスケートを混同した終戦直後の小学生を責めるべきではない.

私が小学生だった昭和50年代も,特に冷え込んだ朝は水たまりや池に氷は張りましたが,上にのぼって激しく遊んでも割れない程分厚い氷を見た記憶は無いかな...30年間の間にだいぶ栃木の冬は温暖化したことを,2人の小学生の体験から感じることができる,というお話でした.

 
写真:外部ブロク:故郷の思い出⑧冬遊び 補足=今でもある竹スキーなど・・・。 より (2021/04/30 goo.ne.jp 側の仕様変更により URL が変わり,画像リンク切れてたのを確認.保存目的で,画像をダウンロードしてこちらでアップロードさせて頂きました).なるほど当時の小学生ですから,袴というかモンペか.ページ内には下駄 (というか草鞋?) の下に鉄が打ってある下駄スケート用特別下駄なんかの写真もあります.親父らが使ってたのもそういうのだったのか,こんど聞いてみます.